■ DEIとは
DEIとは、Diversity, Equity, and Inclusionの頭字語で、日本語では「多様性、公平性、包摂性」と訳されます。DEIの意味
- 多様性(Diversity):様々な背景を持つ人々、例えば、国籍、人種、民族、性別、性的指向、年齢、障害の有無、宗教、社会経済的地位など、多様な属性を持つ人々が共存している状態を指します。
- 公平性(Equity):全ての個人に対して、その人が成功するために必要な資源や機会が公平に与えられることを意味します。これは、平等(equality)とは異なり、個人のニーズや状況に合わせて、異なるサポートを提供することを意味します。
- 包摂性(Inclusion):多様な人々が、組織やコミュニティの中で、それぞれが持つ能力や個性、意見を尊重され、価値ある一員として受け入れられ、貢献できる状態を指します。
DEIの重要性
DEIは、以下のような点で重要です。
■ DEI vs ゲーム
ここ数年、企業でもDEIについての考え方を問われていますが、その影響をモロに受けているのがゲーム業界だと思います。
代表的なものとして、記憶に新しい「Last of Us II」。
神ゲー間違いなしと言われていた本作品も、DEIの影響を色濃く受けており、さらにストーリーも「うーん・・・」という部分があり、個人的にはただの微妙な作品になってしまった印象です。
あとは、SONY肝入りの「コンコード」も、開発にかなりの年月を費やし、開発費を数億ドルかけて、2週間でサービスを終えましたので・・・。
ゲームのシステム面は悪くないのに、肝心の売りであり、魅力的なキャラクターがいないという…。
これでは誰をターゲットにしたのか、何で売れると思ったのか、といったことを経営陣に聞いてみたいですね・・・。
最近のゲームでは、発売前情報から、DEIに配慮していないというクレームが数多く飛びますが、正直、DEIに配慮してないから売れないのか?というとそんなことはないと思います。
正直、純粋にゲームを楽しみたい側からすれば、DEI配慮なんて全く評価の対象ではないです。
むしろ過剰に配慮されているほうが…という場合もあります。
例えば、DQやFFなどの主人公がただのどこにでもいる特徴のない中年のおじさん/おばさんだったり、魔王がただのヨボヨボのおじいさんだったりして、果たしてそれは楽しいのでしょうか?
その世界に没入して楽しめますか?というと、到底そうは思えません。
ゲームには非現実性を求めており、こうだったらいいのになとか、理想像を持ってプレーしたりするわけですから、そこに現実性を求められても、「は・・・?」としかなりません。そんなゲームにお金や時間を費やしたいと思うでしょうか?と。
かっこいい勇者がいて、かわいい姫がいて、色っぽいお姉さんがいて、無骨な戦士がいて、コミカルな商人が居て・・・といろいろなキャラがいるから楽しかったり、憧れたり、感情移入できたりするはず。
ただ、DEIに配慮しすぎた結果、例えば、トルネコばかりが8人居ても、果たしてそれは面白いのでしょうか?
正直、ゲームは、尖った部分がないと面白くありません。
全てに配慮した結果、何も尖っていない真ん丸のゲームが出来上がったとしても、誰が買うんでしょうかね・・・。
DEI、DEIと押し付けるのは良いですが、配慮したからといって、それは果たしてユーザの方向を向いているのか?というのを考えたほうが良い気がします。
そして、実際にそのリリースされたゲームに対して、DEI配慮を唱えた人のうち何%の人が購入しているんでしょうか。
ここのところのDEI大型タイトルの失敗は、ニーズを理解していない状態で、間違った方向に向かった結果と言えるのかなと。
ゲームに限ったものではなく、ドラマでもマンガでもアニメでも何でも、その作成した人たちの世界を描いたものであるため、自由でいいと思います。いや、自由であるべきです。
そこにDEIを押し付ける方こそ、ナンセンスであり、その世界を潰しているだけです。
LGBTの表現がない(出てこない)≠ DEIに配慮していない
と考えるべきであり、配慮していないと決めつけるのはおかしな話です。
あくまで言いたいのは、職場や考え方にDEIを取り入れるのは全然悪いわけではなく、ゲームに必要以上にDEIの配慮を取り入れるのがそもそもおかしいという考えです。
以前、イーロン・マスクがXで投稿した「DEI kills art」は正にその通りだなと思います。
SONYだけでなくMicrosoftも様々な企業が、ゲームにDEIを積極的に取り入れていくと宣言しているとの情報も出ているようですし、今後さらにDEIをゲームに取り入れることによって、ゲーム業界が墜落していかないかが心配ですね・・・。